稲盛和夫の「生き方」が宗教&ブラック企業の説明書と聞いて。
お久しぶりです、ジャスティンです。
久々の投稿です。しばらくブログ記事を更新できてなかったのには訳があります。しばらく僕自身の「生き方」について悩んでいたからです。
- 何に対してもやる気が出ない
- 何をすればいいのか分からない
- 仕事にモチベーションが起きない
という最悪の状態が続いていました。
そんなとき、この分かりやすいタイトルに引き込まれまたんです。
それが、稲盛和夫さんの名著「生き方」。
もし、あなたも今の仕事にやる気がでず、何に対してもモチベーションが湧かず、自分が何を目指しているのか、さらには何をすればいいのかわからない。
そんな時に、この本が何かしらのキッカケをくれるかもしれません。今回は、稲盛和夫さんの「生き方」をレビューします。
目次
稲盛和夫「生き方」との出会い
少し回想します。
この本「生き方」は、20歳のときに(おそらく8年前くらいかな)に購入してさらっと読みました。たしか親父に勧められて買ったのです。
そのときの感想は、「なんて分かりずらい本だ。」です。
正直、中身をまったくと言っていいほど覚えていない。というのも、本の中身が抽象的すぎる内容だったんです。
もともとこういった自己啓発の類いの本を読まないのもありますが、今当時を振り返ると「あくびがでるような本」という失礼極まりない印象が強いです。(すみません、稲盛さん。)
ただ、1つだけ覚えていることがあります。それが、
仕事の成果 =考え方×情熱×能力
という、稲盛さんの思考を体現した方程式でした。
数式になったから具体的にはなったようにも見えるのですが、なんせその因数(考え方・情熱・能力)が抽象的だから、結局のところよく分からない。
ああー、やっぱり全然分からない、って呟いていたのを覚えています。
それでも、「アメーバ経営」「JAL再建」「京セラ」といったキーワードを連想すれば、日本を代表する経営者、あの稲盛和夫が出てきます。
当時から、この本「生き方」はベストセラーでした。稲盛和夫という凄い方が書いた本というのもあり、他の人と同じように僕も手にとって頑張って読んだのです。
でも、当時の僕にはやっぱりよく分からない本なのです。だって、ナポレオン・ヒル、斉藤一人さんが言ってるような、少しふわっとした内容だから。やっぱり全然わからない。
それでも今、僕がこの本が引き込まれた訳
でもなぜ、抽象的で分からないと思っていた稲盛さんの著書「生き方」について、今このタイミングで再度読み返すことになったのか?
それはプロローグ(最初の出だし)にこう書いてあったからです。
混迷の時代だからこそ「生き方」を問い直す
私たちはいま、混迷を極め、先行きの見えない「不安の時代」を生きています。豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどこか閉塞感がある。やる気さえあれば、どんなものでも手に入り何でもできるのに、無気力で悲観的になり、なかには犯罪や不祥事に手を染めてしまう人もいます。そのような閉塞的な状況が社会を覆いつくしているのはなぜなのでしょうか。それは、多くの人が生きる意味や価値を見いだせず、人生の指針を見失ってしまっているからではないでしょうか。今日の社会の混乱が、そうした人生観の欠如に起因するように思えるのは、私だけでないと思います。
ー 生き方 プロローグより抜粋
これはまさに今の、僕だったからです。
- 生きる意味や価値を見いだせず
- 人生の指針を見失ってしまっている
- 豊かなはずなのに心は満たされず
- 自由なはずなのにどこか閉塞感がある。
- やる気さえあればどんなものでも手に入り何でもできるのに、
- 無気力で悲観的になる
「まさに俺のことやん!」という、ピンポイントで刺さる書き出しだったもんだから、どれだけ僕のこと分かってくれてるんという感じで共感いたしまして、、
私はプロローグから一気にこの本を読み進めたのです。
稲盛和夫の教え「生き方」は宗教なのか?
ところで、「稲盛和夫」と検索すると、「宗教」「ブラック企業」というキーワードが出てきます。
要約すると、
ー 稲盛さんの考えは宗教染みていているし、一昔前のブラック企業の社長がやり方だ
あなたも「稲盛和夫」で検索してみれば分かります。たくさんの良悪の口コミがありますので、面白おかしく見てもらえればいいと思います。
大事なのは、自分自身の「生き方」について迷っている人が、この「生き方」を見るべきなのかどうなのか?そしてどのようなことを得ることができるのか?です。
わざわざ批判をして得れるものは一切ないと分かっている以上、たとえもしこの「生き方」の中身が宗教じみていて、ブラック企業的な内容だったとしても、本から得れるものがあるのであればそれでいいと思っています。
ただ、ひとむかし前は、僕もこういった人生を語るような自己啓発本は嫌いで、批判的なことを言ったりするような人間でした。だからこそ、自分自身の「生き方」に迷った今、これまで参考にしてこなかったような自己啓発の類いの本を読もうとしたのです。
それが、「生き方」です。
なぜ、宗教と言われているのか
宗教と言われる理由、それは稲盛和夫さんが仏教の教えを説いているからでしょう。
稲盛さんは還暦を迎えた後、65歳で仏門の扉をあけ、人生とは何かを改めて考えるようにしたのだそう。「生き方」の226ページには「私はなぜ仏門に入ることを決意したのか」という見出しでその理由が書いてあります。
ー 死によって私達の肉体は滅びますが、心魂は死なずに永世を保つ。私はそのことを信じていますから、その旅立ちに向けて、周東な準備をすべく最後20年は人生とは何かをあらためて学び、死への準備をしたい。
生き方 226P 〜私はなぜ仏門に入ることを決意したのか
ここだけ切り取ると、たしかにオカルトのような、スピリチュアルのような響きがありますから、「宗教だ」と思われる方が多いのでしょう。
では、実際にその仏教の教えとはどんなものなのか?その内容を見ていきます。
お釈迦様の「六波羅蜜」の教え
稲盛さんの仏教の教えが、どういう意味で宗教なのか?
ここでは稲盛さんの宗教ベース哲学がまとめられているところをピックしました。稲盛さんは、仏教の神様であるお釈迦(しゃか)様の考えを取り入れて生きています。
その、お釈迦様が説いた教えに「六波羅蜜」というものがあります。
「六波羅蜜」とは、心を磨き、魂を高めるために不可欠な修行のことで、少しでも悟りの境地に近づくために行わなくてはならない菩薩道を記したものです。
稲盛さんはこの六波羅蜜の6つを常に心において、精進を積むことが大事だと言っています。
順番に見ていきましょう。
1布施
世のため人のために尽くす利他の心をもつこと。自分の利より相手の利を図り、他人への思いやりをもつことをつねに意識して人生を送る大切さを説くものです。布施とは一般には、施し(喜捨)をすることの意味に使われていますが、本来は自己犠牲を払ってでも広く人々に対して尽くすことをいい、またそれができなくても、そのようなやさしい心をもつということなのです。そのような他者への思いやりに満ちた心をもつことによって、人間は心を高めていくことができるのです。
2持戒
人間としてやってはならない悪しき行為を戒め、戒律を守ることの大切さを説くものです。すでに述べたように人間はさまざまな煩悩を抱えた存在です。欲望、愚痴、怒りの三毒からなかなか離れられません。それだけに、そのような煩悩を抑えて、自分の言動を正しくコントロールしていく必要がある。欲張ったり、むさぼったり、人を疑ったり、妬ん だり、恨んだり……そうした煩悩、欲望を抑制することがそのまま持戒となります。
3精進
何事にも一生懸命に取り組むこと。すなわち努力のことをいいます。この努力とは、 「だれにも負けない」くらいのものでなくてはならないと私は考えています。プロローグ で紹介した二宮尊徳の例でもわかるとおり、そのような懸命の精進こそが心を高め、人格 を練り上げることを、古今東西の偉人たちの人生は如実に物語っています。
4忍辱
波乱や苦難に負けず、耐え忍ぶこと。人間の生は波潤万丈であり、私たちは生きている間にさまざまな苦難に遭遇します。しかしそれに押しつぶされることなく、そこから逃げること もなく、耐えてさらに努力を重ねる。それが私たちの心を鍛え、人間性を磨くのです。
5禅定
騒がしく、せわしない社会の中で、私たちはつねに時間に追われ、物事を深く考える間もなく、先を急ぐ日々を送りがちです。それだけに、せめて一日一回は心を静め、静かに 自分を見つめ、精神を集中して、揺れ迷う心を一点に定めることが必要になってきます。かならずしも座禅を組んだり瞑想をしたりする必要はありません。多忙な中にあっても、いつときの時間を見つけて、心を静めることが大切です。
6智慧
以上の、布施、持戒、精進、忍辱、禅定の五つの修養に努めることによって、宇宙の「智慧」。すなわち悟りの境地に達することができるとされています。そのとき天地自然をことわり 律している大本の理、宇宙をつかさどる真理、いいかえればお釈迦さまのいわれる智慧へと近づくことができるのです。
この6つの教えが、稲盛さんの考えのベースになっています。
人として正しく生きること
この六波羅蜜は仏教の教えです。
そういう意味では、宗教のくくりで捉えられるのかもしれません。しかし、言っていることは至極まっとうな良いことを言ってるではありませんか。
・ 「宗教=悪しきもの」
稲盛哲学を宗教だと否定する多くの日本人は、「宗教=悪しきもの」という勝手なイメージをもっている人がいると思います。
しかしその内容を見てみれば分かるとおり、人間として生きる上で大切なことが六波羅蜜には書かれています。
稲盛さんの哲学の根底は、「人として正しく生きること」。
その根底があるからこそ、稲森さんは仏教の道に歩まれたんだと思います。
稲盛の哲学「生き方」が教えてくれるもの
端的にいうと、稲盛哲学は
ー 生きる理由、それは魂を磨くこと
という言葉に集約されます。
人間生きていくうえで「お金、車、時計、家族、人間関係」といった様々なものを手に入れることができます。しかし、あの世にまでもっていけるものはありません。
ただ唯一、次の世代に繋げることができるのが1つだけあります。それが「魂」です。
ですから、「生まれた時よりも少しでも高い魂をもって死ぬこと」を目指すべきだと稲盛さんがおっしゃってられます。
「魂なんてよく分からない。」という人も多いと思います。しかし今、行き詰まっている私の前に出てきたこの一言は非常に納得させられるものでした。
特に、仕事に目指すものが亡くなってしまった人や、これから何を目的に生きていけばいいのか迷っている人には響く内容が書かれています。
あなたが「生き方」を読むタイミング
確かにこの本「生き方」はベストセラーにはなっていますが、誰もが附に落ちる人はそうそういないと思います。それは、上にも書いたとおり話が抽象的極まりないからです。
抽象的というのは、次元が高いという意味です。つまり、捉え方がたくさんある。
例えば「動物」と聞いたら、犬を連想する人もいるだろうし、猫を連想する人もいるはず、ライオンを想像をする人もいるでしょう。
つまり動物という言葉は、ふわっとしているのです。同じように、「才能」「情熱」「考え方」と言われても、ハッキリしないのです。
だから誰でもが稲盛さんの「生き方」を読んで勉強になるとは思わない。だけどあえて言わせてもらうと、
- 「仕事である程度の成果が出している人で、現状に行き詰まっている人」
このような方には響くことが多いと感じます。
心を磨くために必要な6つの精進
最後にもうひとつ、稲盛さんが心を高めるために必要な6つの精進を書きます。
心を磨く指針として、稲盛さん自らまわりの人たちに説いてきたそうです。人生のアドバイスとして何度も読み直し、精進したいものです。
6つの精進
これらを私は、「六つの精進」としてつねに自分にいい聞かせ、実践するよう心がけています。文字にしてしまえば平凡すぎるほどの、このような当たり前の心がけを、日々の暮らしに溶かし込むように、少しずつでいいから堅実に実践していくことが大切です。
1.だれにも負けない努力をする
人よりも多く研鑽する。また、それをひたむきに継続すること。不平不満をいうひまがあったら、一センチでも前へ進み向上するように努める。
2.謙虚にして霜らず
「謙は益を受く」という中国古典の一節のとおり、謙虚な心が幸福を呼び、魂を浄化させ一三七心を磨き、商めるることにもつながっていく。
3.反省ある日々を送る
日々の自分の行動や心のありようを点検して、自分のことだけを考えていないか、卑怯な振る舞いはないかなど、自省自戒して、改めるよう努める。
4.生きていることに感謝する
生きているだけで幸せだと考えて、どんな小さなことにも感謝する心を育てる。
5善行、利他行を積む
「積善の家に余慶あり」善を行い、他を利する、思いやりある言動を心がける。そのような善行を積んだ人にはよい報いがある。
6.感性的な悩みをしない
いつまでも不平をいったり、してもしかたのない心配にとらわれたり、くよくよと悩ん でいてはいけない。そのためにも、後悔をしないようなくらい、全身全霊を傾けて取り組 むことが大切である。
あなたの人生の教訓として1つでも取り入れて、精進してみることで、何か気づきがあるかもしれません。